映画「桐島、部活やめるってよ」  ~神の不在と、ゾンビとドラフトとワーグナーと~



いろいろとホームページの更新などをしていたら、いつの間にかこんな時間になってしまいました。

今日は、先日に引き続いて、映画編の「桐島、部活やめるってよ」の過去のブログに書いたものを、

加筆修正して、再編集したものになります。

 

ざっくりなあらすじは、~~~

「とある田舎町の県立高校映画部に所属する前田涼也(神木隆之介)は、

クラスの中では地味で目立たないものの、映画に対する情熱が人一倍強い人物だった。

そんな彼の学校の生徒たちは、金曜日の放課後、いつもと変わらず部活に励み、

一方暇を持て余す帰宅部がバスケに興じるなど、それぞれの日常を過ごしていた。

ある日、学校で一番人気があるバレー部のキャプテン桐島が退部。それをきっかけに、

各部やクラスの人間関係に動揺が広がり始めていく。」 (シネマトゥデイ)

~~~というものです。

部活をどうやって辞めようかという話ではありません^^;

 

 

一言でこの映画を言うと、【残酷で無意味で無価値でクソな人生の中で、生きることに必要な事】

観る前 【いくら優等生がいなくなったからと言って、そんなに大騒ぎするか?敷居は高いけど、名作って言っても過大評価もあるし】

観た後 【文句なしの生涯ベスト1 ただし観る人を選ぶ話】

 

この映画については、上映された時に、確かに反響を呼び、傑作と呼ばれて、日本アカデミー賞の中でも、

■最優秀作品賞
『桐島、部活やめるってよ』

■最優秀監督賞
吉田大八 『桐島、部活やめるってよ』

■話題賞
作品:『桐島、部活やめるってよ』

の三冠を取った程の作品だったのですが、一方で、「よく分からない」「何が言いたいのかよく分からない」

という感想も多かった作品でした。これは私も、実際に観た人から聞いているので、間違いないと思います。

なぜかと言うと、この映画は、普通の映画と違って、非常に不親切設計な映画なので、

普通にテレビドラマとか映画を観る感覚で観ると、見落としてしまう事や、聴き落としてしまう事が多々あり、

1回目を観た時に私も、見落としてしまった事や、誤読してしまった事が、多々あって、3回くらい観てようやく理解した点もありました。

なので、これから観てみようという方は、登場人物の視線の動き方、何を手に持っているのか、なんのバッグをぶら下げているのか、

携帯を持っている手はどちらの手なのか、何をぼそっと言っているのか、目が笑っているのかいないのか、

みんなが笑っている中で笑っているのかいないのか、など気を付けて観て下さい。

 

これから少しネタバレが入りながら、書いていきますので、全く予備知識なしで観たいという方は、

ブラウザバックでお戻りください。

 

 

上の相関図は、ネットで公開されていたものに、野球部キャプテンを追加したものです。

『桐島部活やめるってよ』の出だしは、文武両道で美形で人望も有り、女子からも人気が有り、

県の選抜選手にも選ばれる噂があるほどの選手で、また直接は描かれてはいないものの、

たぶん性格も良い、完璧超人の高校のバレーボール部のキャプテンである桐島が、

突然部活を辞めてしまって、学校にも来ていない、という情報が伝わる事から始まります。

 

桐島は最後まで出てきません。彼と思われる人物の観ている視点のシーンや、

彼かもしれない人がすれちがったりする描写は有りますが、はっきりとは出てきません。

今の言葉で言えばリア充のお手本みたいな、桐島が突然いなくなった事で、

普段彼に依存していた人間は、直接的に被害を被る事になります。

・梨紗・・・桐島の彼女。付き合ってはいるものの、桐島の家も知らないし、

事前になんの相談もされていなかった人。

迷セリフは「眼中に無いんじゃないの!?」

【一言で言えば、完全な道化役】

 

・久保・・・バレーボール部の副キャプテン。

いきなりキャプテンがいなくなってしまったのに、すぐに試合を控えており、

試合は順当に敗北。桐島の代わりにレギュラーになった風助が足を引っ張ってしまい、

分かってはいるものの、苛立ちを押え切れず、風助にきつく当たる。

【一言で言えば、手に余る状況に対応しようとして、テンパってしまった人】

 

・風助・・・ずっとバレーをやっていくと約束していた桐島は居なくなるわ、

久保からはきつく当たられるわ、本当に可哀想な役回りの人。

最後の衝突シーンで、仲裁に入るなど、結構良識派だったりする。

【一言で言えば、良い人で努力家なのに報われない人】

 

この3人の中では、梨紗はまあ性格があんまり良くは無いので、共感しにくいのですが、

久保に関しては、自分が処理できない事が相次いで起こったために、テンパってしまっている事は、

理解できるし、仕方が無いのかとは思います。風助に対しては当たりはきついのですが、

陰湿さは無いので、桐島の件が無ければ、それなりに良い副キャプテンだったと思います。

バレー部に関しては、桐島がいなくなったために迷惑をこうむる、被害者的な要素が強いです。

 

・また表面上でははっきりとは、最初は描かれていないのですが、一番衝撃を受けているのが、

桐島の親友である、菊地宏樹(以下 宏樹)です。

宏樹は、桐島と親友であるものの、彼にも桐島は何も相談していません。

宏樹は桐島と親友であるだけあって、彼自身もまた、文武両道の美形の高校生です。

 

桐島との違いを言えば、彼は野球部に所属していて、野球も一番上手いにも関わらず、幽霊部員になっている点です。

勉強でもスポーツでも何でもできて、彼女も性格はともかくとして、外見は良い沙奈で、

それなりに深い関係なのだろうと思われるのですが、どう見てもキスシーンで非常にやる気のないキスをしたり、

沙菜が隣にいて一緒に廊下を歩いているのに、沙菜がいる方の手で荷物をもっていたり、

手を握って歩いていて、携帯が鳴ったら、彼女の手を振りほどいて、携帯に出るなど、

仕方なくつきあっている感が、見て取れます。

普通なら、携帯がかかって来ても、手はつないでいられるように、

携帯を入れておくポケットは、逆にしておくとか、あるでしょうにね。

3回くらい観ていると、あまりのぞんざいさとやる気の無さが笑えるほどです。

名セリフは「出来る奴は何でも出来るって事で、出来ない奴は何にも出来ないって事だろ」

【一言で言えば、なんでも出来るがゆえの、虚無に囚われた人】

 

・沙奈に関しては、顔が良いので、桐島を中心としたスクールカーストの上位におり、

学校一、イケてる桐島の、付き合っている梨紗の、友達でいるという事で、

スクールカーストの上位に居る事を保っているという人間で、

性格も悪く、そしてえげつなく、この映画の悪役です。

背が小さい風助を馬鹿にし、映画部を馬鹿にし、桐島がいなくなった後で彼らなりに必死なバレー部を馬鹿にし、

宏樹との仲をあるシーンで見せつけるあたり、観ていてかなりムカついて来ます。

(この演技は女優の松岡さんの俳優としての力が凄まじく、特典のDVDで、前田役の神木さんがインタビューで、怖くて話せなかったと言っていたほどです)

宏樹と付き合っているのも、別に好きだからという訳では無く、

(好きだったら、彼にあんなやる気のないキスをされれば、不安になりますが)

イケてる外見の者同士が付き合うべきという、階級の維持が目的化している人あって、内面はかなり空虚な人です。

名セリフは「は!?(威圧)」

【一言で言えば、手段が目的化している性格の悪い女】

 

・かすみと実果については、省きます。

特にかすみに関しては、実際に映画を見た方が、驚かれると思いますので。

 

この、顔の良い女子【梨紗・沙菜・かすみ・実果】が、実は全然仲が良く無くて、表面上仲が悪いけれど実は心の奥底ではつながっているなんていう事とは、

真逆の、顔が良いから、ヒエラルキーの維持のために、とりあえずつるんでいるという、もの凄い緊張関係と表面的な付き合いの仕方が、とにかく見ていて凄まじい。

 

で、スクールカーストの上位が居れば、当然残酷に、下位がいるという事で、

この映画の主人公の前田が所属している映画部がそれに当たります。

女子4人が起こす殺伐とした現実の中で、お笑い要員になるのが、この映画部ですが。

 

・前田は、

【一言で言えばコミュニケーションが下手な、映画バカ。ただ映画が好きという情熱は誰にも負けない。ちなみに好きな映画はゾンビ映画】

ゾンビ映画という要素で、モテる要素は無く、廊下を走っている姿も、どう考えても運動神経と無縁な走り方だし、

サッカーの授業で足を引っ張るなど、それでも、いやそれだからこその主人公です。

亜矢(後述)との場所取りの交渉の対決の時に、舌足らずな口調で話すあたりが、もう最高です。

迷台詞は「き、許可証は?」

名台詞は「先生はロメロ観たこと有りますか?」「ロメロくらい観とけ!」

 

 

・前田の親友の武文も、前田に劣らず、映画バカで、運動神経と無縁で体育の授業が苦痛だったり、

上品な映画ファン向けの「キネマ旬報」でなく、私を含めたぼんくらな映画ファン向けの「映画秘宝」を好む

【一言で言えば、映画バカ2号】です。

武文が前田に言う、「おまた~」と言うセリフを、

スクールカーストの上位の女子グループが嘲笑した後、

武文が「俺が監督だったら、あいつら絶対に映画に使わないね」と廊下で、名捨て台詞を吐いたり、

前田と吹奏楽部の亜矢(後述)との、場所取り交渉の時に、それとなく亜矢に気を遣ったり、

結構、洞察力や発想が鋭いキャラなので、好きなキャラだったりします。

個人的には、高校時代の自分に、一番近いキャラクターが、この武文で、正直、他人には見えません。

名セリフは「スクリーム3 最後まで見ちゃった」

 

・亜矢は、吹奏楽部の部長で、スクールカーストの下位の映画部ほどでは無いにせよ、

だからと言って上位に居る訳では無いという、言ってみれば地味な人なのですが、そのため、桐島の影響を受けない人です。性格も悪くなく、むしろ良い。

悪意が無いだけに、前田に対して残酷な事を言ってしまったりしますが。

と思って2回、3回見直したら、前田も、前田なりの鈍さと責任感故に、亜矢に対して残酷な事を言ってしまっていたので、ここは五分五分という事で。

【一言で言えば、後半、ある重要な決断をする人】です。

内容は、ここでは書きません。実際に映画で見てください。

迷台詞 前田「僕たち、映画部でして」 亜矢「知ってる!」

迷台詞 「だから…休憩! 今からこれからめちゃくちゃ吹く予定なんで!」

 

・詩織は、またこれが出来すぎた後輩で、【一言で言えば気遣いの人】です。

気遣いが出来過ぎているので、逆にお前大丈夫か?と心配になるほどです。

名台詞は、「寒いですね~」

 

・帰宅部の竜汰と友弘については、桐島が部活動をやっている時に、

広樹と一緒に3人で適当にバスケで遊んで、桐島が部活が終わったら一緒に帰るというメンバーです。

基本的には良い人たちです。

違いがあるとすれば、

竜汰は【わりとなんでも器用にこなせる人】

友弘は【外見は良いけれども、実は不器用な人】

友弘のシュートは、映画中、一回もバスケのゴールに入りませんし、彼女もいない童貞。

 

・野球部キャプテンは、そんなに強い野球部では無く、

他の登場人物が2年生以下である中で、唯一、3年生として登場します。

このキャプテンが実に深みのあるキャラクターで、この人を見るだけでも、

この映画を見る価値はあると思います。

【一言で言えば、有りもしない奇跡を待つことが出来る人】です。

迷台詞は「今日は寒いな・・・そうでも無いか」

 

で、ここから先は、もう既に観た人向けの話になっていきますので、まだ観ていなくて、観たいという方は、

本当にブラウザバックでお戻りください。

 

 

この映画を観ていて思い出したのは、「愚劣な高校時代」でしたね。

この映画が描いている同町圧力感のリアルさは凄まじく、自分の中でとっくに過去の忘れた記憶として気に留めていなかった、

高校生活の時の記憶を思い返す事になりました。

おそらく普通の高校だったと思いますが、同調圧力の元、クラスでいじめがあり、その被害に遭っていたクラスメートは、

円形脱毛症がいくつも出来ていて、これは見ていて、かなり辛いものが有りましたね。

わりと男子の中でもイケているチームの中でも、そのチーム内でいじめがあって、

まあ男子は男子でずいぶんとまあ陰湿な事をやるもんだと、感じていた次第です。

表立っていじめられている子を助ける事は出来ませんので、周囲からは分からないように、気を回すことなどやっていた経験が、

気を遣うとか、今の自分の仕事にも生かされていると気が付いて、過去と今の連続している流れの中で、出来ていた空白が埋まったという不思議な体験をしました。

その意味でも、この映画が私にとって、特別な話になったと言えます。

 

この映画については、初回に観た時に誤読していた事が多々あって、

大きな誤読その1は、映画部の顧問の教師が、青春映画を映画部に無理やり撮らせようとして、

これが教師の善意であり中途半端に物を知っているから、余計に始末が悪いのですが、

ゾンビ映画の脚本を一生懸命に作った前田が、映画部の顧問の教師から、「ゾンビはお前らにとってリアリティーあんのか?無いだろ」と言われ、

「先生はロメロ観た事ありますか!?」と前田が反論するシーンなのですが、

私はゾンビ映画の巨匠であるロメロが、低予算でゾンビ映画を作り、それが大ヒットしたという事しか知らなかったので、

ゾンビ映画=低予算だから高校の映画部でも作りやすく、フォーマットが出来ているので、作りやすい、という事だと思い、

それを思いついた前田凄い!と考えていたのですが、

映画評論家の町山さんの解説を後からyou tubeで聴いた時に、

「ロメロのゾンビ映画は、ゾンビを使って現実を描いていて、例えば黒人差別反対運動の中心人物だったキング牧師を、

イメージして、ゾンビの大群が人を襲っているところを、黒人のリーダーが活躍し、このままいけばそのリーダーがゾンビを駆逐して、

世界を良くしてくれるかもしれないというところで、白人がその黒人リーダーを殺してしまい、事態がより悪い方向に向かってしまうという、

現実の話をそのまま現実の話として描くのではなく、ゾンビの話とすることで、

その魂(スピリット)を取り出して、エンターテイメントとしても楽しめるものとし、時代が変わっても古びないという手法を使っている」

(要約と加筆のため原文のままでは有りません)という事だと知って、「浅かった」と痛感しました。

 

このシーン、

顧問「ゾンビはお前らにとってリアリティーあんのか?無いだろ」

前田「先生はロメロ観た事ありますか!?」

顧問「そんなマニアックなものは観てないよ」

というところで場面転換して、ロメロに関しての説明が一切出てこないので、これじゃ分からない人がいても無理ないんですよ。

大事な事は自分で調べろ、もしくは映画を観た人同士で話し合えというどこまでも、不親切な映画です。

 

大きな誤読その2は、亜矢は最初、桐島が気になっていて、帰宅部のいるところで、演奏をしているんだろうと、考えていた事です。

良く見ていれば、宏樹なんですが、これもまた「浅かった」という所でした。

説明無さすぎるだろ・・・

 

 

 

 

 

 

この映画、吉田大八監督の得意とする、最後の最後に虚と実が反転し、

決して強い野球部ではなく、おそらく野球のセンスという点では、たぶん無い方に位置する野球部キャプテンが、野球を続ける理由を宏樹に話し、

スクールカーストの最下層に居て、嘲笑の的になっていた映画部の前田が、屋上の緊迫したところを逆にチャンスと捉えて、たまったものを爆発させて、撮影し、

クソ真面目で不器用な、吹奏楽部の部長の亜矢が、失恋の痛みを音楽に表現し、

スクールカースト上でも、上位におらず、社会的には敗者に近いこの人達が、

つまり桐島不在の影響を受けなかったこの人達が、

好きでやっている事だから、誰がやめようが全然関係が無いこの人達が、

実は生きるという点において、強者である事が分かり、

桐島の不在に動揺して、右往左往していた、桐島に依存していた他のキャラクターに、実は遥かに勝っていたという事が描かれます。

 

何でも出来るからこそ、何をやる事にも意味を見いだせていなかった宏樹が、

ドラフトという非現実的な奇跡を待っている野球部キャプテンや、

意味なんか何も考えておらず、ただ好きだから映画を撮っている前田との話で、泣きそうな顔になってしまう。

野球部キャプテンや、前田は、傍から見れば、ただの馬鹿かも知れないし、

野球部キャプテンの周囲の人間関係は描かれないですが、たぶんクラスの女子から嘲笑され、友人からは心配されていると思われますが、

それでもこいつらは、周りの目なんか関係ない程、楽しくて充実して生きている。

 

 

と、まあこれで終われば良いのですが、

この映画、最後の最後で、観客に鋭い刃物を突きつける訳です。

「それではこの映画は、これで終わります。では映画をご覧になった皆様は、他の人もやっているからとか、

親に言われたからだとか、今っぽいからだとか、という事と関係なく、自分自身が真剣に、意味なんて考えないくらいに

夢中になれる事、真剣になれる事、今やってますか?」と。

これはね、相当に鋭い刃ですよ。

 

ちなみに、蛇足ですが、フランクル「夜と霧」という著書があるのですが、内容は第二次世界大戦中の、

悪名高いアウシュビッツ収容所に、収容されたユダヤ人心理学者のフランクルが、とにかく地位も名誉も金銭もはぎとられ、

いつガス室送りにされるかわからない状況で、唯一残った想像力を武器に、生き残る事に挑戦するという実話です。

映画評論家の町山さんが、この「桐島」と囚人ものの「ショーシャンクの空に」が似ている事を、

解説動画で挙げていたので、たまたま思いついたのですが、

「夜と霧」に書かれた内容で、強制収容所で生き残るタイプの人間を、フランクルは冷静に分析しており、

肉体的な頑強さというより、精神的な自由さを持つ人間の方が生き残るという事を書いています。

一つは、「奇跡を待てる人」。収容所の過酷な生活の元で、「クリスマスまでには助けが来る」という噂が流れますが、

クリスマスを過ぎても助けは来なかったとわかった途端に、収容者の中で死んでいく人が多数現れます。

これは、助けが来る希望という事で、身体の免疫が保たれていたために、それが亡くなったために生きる希望が無くなり、

免疫が低下して病死してしまうという事を意味します。

 

「桐島」の話に戻りますが、多分野球キャプテンは、来もしないドラフトを待つことが出来る、

【有りもしない奇跡を待つことが出来る人】であり、おそらく、生き残るタイプの人。

では、前田はどうかと言うと、心理学者フランクルは「将来この収容所で得た体験をもとに、俺は大学で心理学の講義をする」と、

未来をイメージして想像することで、生き残った人であるように、多分前田も、「俺はこの体験を映画に撮ってやる」と、

意味も考えずに、当然の様にイメージして、おそらく生き残るタイプの人だろうと思います。

 

 

 

この様に、「桐島」はどちらかと言うと、高校を舞台にしてはいますが、実は他の閉鎖された空間で話を作っても、

どこでも通用する、普遍的な話なので、高校生の話なんぞ興味ねえよ、という方は、観ない事でかなりの損をしていると思いますので、未見の方は、ぜひぜひ観てみて下さい。

ただ、何度も繰り返しますが、不親切設計な映画なので、観る時は注意深く見てください。

 

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